2011年8月21日礼拝

1.懐に抱いて天法を教えなければ

 皆さんは、皆さんの息子、娘に何を語るつもりですか。皆さんは公的な人生、それも模範的な公的な人生を生きることによって皆さんの息子、娘に見せてあげ、その伝統を受け継ぐことができるように教育しなければなりません。人は本来、自分の父母に教育されるようになっています。学校に行ってのみ教育を受けるのではありません。特に伝統を受け継ぐ教育は、学校では学ぶことができません。

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 子供はすべての価値を父母を通して探します。家庭で育っている子女は誰に似たのでしょうか。父母に似ました。その子女たちは誰についていくのでしょうか。父母についていくのです。このようになっているのです。

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 家法を準備しなければなりません。子供たちの教育基準など、家庭の規範をつくらなければなりません。しっかり育てられずに子供の追及を受けても何も言えません。

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 子女を教育するためには、父母がまず実践しなければなりません。父母が見本になってみ旨の前に忠誠を尽くさなければなりません。そうして父母が何を言っても、子女たちが一言半句も口答えせずに敬意を表すことのできる立場に立たなければなりません。そうでなければ子女たちがついていかないというのです。

 子女たちが、自分が知っているみ旨と原理を中心として見る時、教会生活において父母が本部から指示している原則を等閑視してその指示に従う生活をしていないのに、子女たちだけに原理原則どおりの生活をしろと言えば、鼻で笑うというのです。

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 父母はどんなことをしても息子、娘が統一教会の正道を行くようにしなければなりません。それから自分自身も正道を行かなければなりません。自分がまず行ってから子供に教えなければならないのです。子供を教育するために、自分がまずそのようにしなければなりません。その次に子供を教育しなければならないのであって、自分はせずに教育しようとするのは天道に外れるのです。先生が皆さんに話すすべてのことは、先生がまず実践して勝利の基盤を築いたあとで教えているのです。信じられないなら祈祷してみてください。うそなのか、事実なのか、祈祷してみなさいというのです。

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 祈祷をする時にも、私がこのようにするので私の子供もこうするようにしてほしいと祈祷しなければなりません。自分がまず標準になったのちにこそ子供をそのような位置に立てることができます。自分がまずそのような位置に立つと、神様はその子供も同じ方向に導いていくのです。ですから私たちが、私たちを中心としてその方向をもとがえすことができなければ、霊界に行って責任追及を受けるようになるのです。

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 子女たちを教育する時、お前たちもお母さん、お父さんのようにならなければならないと教育できなければなりません。

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 子供は父母の心情を学ぶのです。