2011年12月4日礼拝
説教のみ言 「孝子の道」
先生はおなかがすいて疲れて倒れる恨があったとしても、どうすれば神様が心配するその道を私が先立って行くか、背負うことのできる十字架の道があるならばどのようにその道を行くかということを考えました。しかし皆さんは、このような道を行こうと準備してはいません。今日皆さんは、侍ることによって救われるということを知りながらもずうずうしく眺めています。そんな心でとどまってはいけません。
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皆さんは侍義時代、すなわち侍る生活において正確な中心をもっていかなければなりません。神様に侍るには法度があります。その法度に背く時には、神様はとても怒られる方です。子供を愛する父母が子供の言葉の一言に胸に釘を打たれたり抜かれたりするのと同じように、神様も人間を愛していらっしゃるがゆえに怒りが多い方です。ややもすると間違えて神様から怒りを買うことになります。ですから先生も、いつも先生なりに神様を喜ばせてあげようとします。
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皆さんも皆さんを思ってくれる人を訪ねていくでしょう。神様も同じです。その神様を占領できる道は誰よりも神様を思い、神様のために奉仕しようとするその人を中心として神様は訪ねてくるのです。
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人間において神様を愛するのが第一の戒めですが、愛するのに死ぬほど愛すべきですか、一時的に愛すべきですか。皆さんは神様を死ぬほど愛したいですか、死ぬほど愛したくないですか。雷に打たれて死ぬとしても愛さなければいけません。神様を死ぬほど愛さなければならないというのです。死ぬほど愛さなければならないなら、死ぬ前まではできないことがないというのです。
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皆さんは現在どこにいますか。昼も夜もいつも、どこに行っても先生と共に歩調を合わせて生きていますか。今まで先生はこの頭をもって生きてきたのではありません。神様と共に神様が行く方向に歩調を合わせながらすべて、生命をすべて投入して生きてきたのです。
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先生は一日一日の生活において、重要な問題は必ず神様に祈って解決します。いいかげんにはしないというのです。
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先生は今までみ旨のために苦労してきたし、今も寝ても覚めてもその道を歩んでいます。先生の近くで侍ったことのない人は先生のことをよく知りません。先生は寝ていても目が覚めさえすればうつ伏せになって祈祷します。なぜそのような生活をしているのでしょうか。この夜にも世界に散らばっている愛する子女たちが私を頼り、神様のために祈祷しているからです。
私が精誠を一緒にできなくてもそれに劣らず拍子を合わせてあげなければならないのではないでしょうか。先生が寝る時は分からないので神様も許してくださるのです。その時間には、子供が疲れて寝たら父が見守るのと同じように神様が代わりに祈祷してくださるのです。
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レバレンド・ムーンはどんな人ですか。一つの才能しかない人です。愚鈍にひたすらまっすぐにのみ行く人だというのです。ああ、口をちょっとつぐんで適当に回っていけばいいのに、どうしてよく悪口を言われるような作用をしたりするのでしょうか。それは多くの人々の反対を受けてこそ一つの峠を越えていくからです。しかし皆さんは帰ることを考えているでしょう。それではなぜこの世のすべてのものを切ってしまって行かなければならないのでしょうか。お母さん、お父さんの愛に引かれればまっすぐに行くことができないからです。神様は今まで正しい道を求めてこられたので、正しくまっすぐに行かなければならないというのです。