2011年11月27日礼拝

伝道とは

伝道とは、何ですか。道を教えてあげることです。神様に戻っていく道を教えてあげるので、それはどれだけ偉大なことでしょうか。本性の人間を見て「お前はどこに行くのか」と問えば、「いやー! 世界を通し天の国に帰っていかなければ」と言うのです。その道を開拓してあげるのでどれだけ素晴らしいかというのです。迫害を受け、ひたすらに何かを受け、何を受けても、いつも世界を通して天に帰っていくのです。

 霊界に行けば誇れるのは伝道しかありません。霊界はお金を多く持っていたとしても何の誇りにもなりません。また世の中で権力をもっていたと誇ることもできません。生命をどれだけ生かすことができたか、これが誇りです。甲ならば甲、乙ならば乙、または氏族を超越し数多くの民族を新しい生命と関連させ、どれだけ生かしてあげたのか、それが財産です。財産はそれしかありません。

皆さんは伝道対象者を前にして、夜を明かし痛哭して祈祷したことがありますか。自分のお母さん、お父さんが死んだ以上に悲しんで、または愛する恋人が死んだ以上に悲しんで痛哭してみたのかというのです。していないのならば、してみなければなりません。夜を明かしながら痛哭しなければなりません。一つの生命を生かすことさえできたならば、何も惜しいことはないのです。お金や服や家が問題ではないのです。人を愛するのに狂わなければなりません。

伝道に出掛ける時は、お金を持って出掛けてはなりません。心情をもって行かなければなりません。

            

 皆さんが伝道をしようと出掛ける時、ただそのまま出ていってはいけません。どのくらい精誠を尽くして出掛けるのかということが問題です。ある人を伝道するのに一週間や一カ月、または一年、二年、三年はかかるだろうと思えば、その期間精誠を尽くさなければなりません。雨が降っても雪が降っても、御飯を食べ、寝て起きて、行ったり来たり、または休んだり、ある行動をしたり、一切の心でもって人の前に完全にすべてを与えなさいというのです。完全に与えれば完全に返ってくるのです。これが原理です。

神様を愛するのにどれだけの精誠を通して愛し、人間を愛することにおいてどれだけ精誠を通し愛したのかが問題なのです。これが霊界に行ってからの人格になるのです。栄光の基盤になるのです。

            

 伝道するために夜を明かしましたか。先生は、夜を何度も明かしました。あの世で尋ねられることでしょう。伝道するために幾度夜を明かしたのかを。皆さんは、すべての力を尽くし伝道しなければなりません。