2011年7月3日礼拝

1.なぜ「ため」に生きなければならないのか

 宇宙を造られた神様、法度を立てた神様はどのような方でしょうか。宇宙を通して誰よりも「ため」に生きる代表的な立場に立った方です。その方が神様だというのです。ですからその方に会うためには、「ため」に生きなければなりません。その方は知識の大王ですが、知識をもって来いとはおしゃいません。能力の大王ですが、能力をもって来いとはおっしゃいません。「ため」に生きてくると、皆が神様のそばに来ることができるというのです。

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 再創造において他人に与えまた与えるのは、神様が創造時に自分を消耗させた立場と一致します。自分を投入するということは第二の自分をつくるためで、神様が創造する時、御自身を投入されたのと同じです。再創造歴史は蕩減復帰路程であり、蕩減は再創造歴史を通して成されるので、自分を投入することによってのみ再創造が成されるのです。ですから犠牲になることが不可避であることは理論的な結論です。

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 神様は独裁者ではありません。神様も人間のために投入しました。神様が人間の前にいるのは、人間のためにいるのです。ですから千年、万年、神様に従っていこうとするのです。「ため」に生きる天理の宇宙存在世界の前に自分自身の存在位置を維持するためには、「ため」に存在しなければなりません。「ため」に生きることによってのみ、東洋、西洋に通じることができ、古今に通じることができます。

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 自分を主として動くのは悪をもたらしますが、全体を主として動くのは発展をもたらします。これを知らなければなりません。全体のために行くものに対しては、すべてのものが門を開けるというのです。個人も門を開け、家庭も門を開け、氏族も門を開け、民族も門を開け、世界も門を開け、天の国も門を開け、すべてのものが門を開けて歓迎するのです。

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 真の人生が行く道に、一つの公理として立てなければならないのは「ため」に生きるということです。これはどこでも通じる原則であり、永久不変です。過去、現在、未来がないので、「ため」に生きなさいというのです。ここに孔子様やイエス様やお釈迦様やマホメット、すべての聖子といわれる人たちの前に神様が現れて、「あなた方はどう思うか」と言うと、「そのとおりです」と言うでしょうか、「そうではありません」と言うでしょうか。それが宇宙の法則です。それが、人間が生きるにおいて、真の姿で生きるための一つの方法だということを知らなければなりません。

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 歴史的な伝統として残る実績とは何でしょうか。犠牲精神による、「ため」に生きた実績のみが今日の世界に残ってきました。そうかどうか調べてみてください。そういう人たちが聖人として、歴史的な偉人として、または忠臣として残ってきました。そのような犠牲精神のもとでのみ、功績が残ったのです。ですから犠牲になることは功績を残すためのものだということを知らなければなりません。