文鮮明先生自叙伝心の書写とは?
幸福も不幸も今の私のこころ次第です。愛することができないことが不幸です。その人を受け入れる器が狭いのでこぼれ落ちてしまいます。これが「嫌う」ということです。
文先生は、天を突き、海よりも広く深いこころを持たれた方です。文先生は、ご自身の命を狙うことを生涯の天命とした人でさえ愛おしく(いとおしく)てしょうがない情を持っておられる方です。憎むという情感そのものがありません。深いどころか、底がないのです。その深くて広いこころに私の心が近づければ、今の悩みから脱却することができます。
日本語版が、2009年10月に創芸社より発刊されました。
「写経」は、お釈迦様のこころを私のこころに書き写すこと。
「自叙伝こころの書写」は、自叙伝に綴られた文先生の「真の愛のこころ」を「自分のこころ」に移植することなのです。文字を書き写す行為を通してこころを書き写すことなのです。これが、「自叙伝こころの書写」というものです。
◆文鮮明先生の生涯◆
「人々に幸せをもたらす人生」
人類が求めるものは「しあわせ」の四文字です。それが、私たちの目的であり目標です。
文鮮明先生は「人々に幸せをもたらす者になろう」と幼少の頃決意され、90歳を超える今もなお、それが一貫した目標なのです。
私たち一人一人を幸せにするために来られ方が文鮮明先生であり、「あなたの顔を花のように美しく笑顔でいっぱいにしてあげたい」と思われる文鮮明先生なのです。
「真の愛を貫かれた人生」
真の愛の第一の特色は、「愛を与えたということさえも忘れること」です。記憶していれば見返りを要求する情念になり、それが怨みに変わる要素があるのです。
そして、第二の特色は「人に何かをしてもらおうとする思いを捨てること」です。愛されようと先に思ってはいけない、愛を乞うてはならない、そうすれば必ず不幸になるからです。
「もらう者より与える者に福が来る」という文先生のみ言があります。福とは、神様の愛です。
神様がそうなので、同じようにすることで、神様の情をつかむことができます。これが天運です。